2018年5月16日水曜日

我が青春の地平 その1 格調の高い文章への憧れ それは漢文脈


我が青春の地平

その1 格調の高い文章への憧れ それは漢文脈

 今まで50年余生きて来たが,時として今まで頭の隅で細々とであるがしぶとく望んでいた事が分かる事があるものではないだろうか.
 それが時々,石垣島の南十字星のように地平線から顔を出すことがあるのを大体50歳以降の皆様は経験しておられないだろうか.

 例えば,今ここで私が挙げるのは,文語文,漢文脈とでも言うべきものだろうか.

 学校の校歌はいつもちょっと厳かな感じのする歌詞であった.これが,私が考える所の文語文,漢文脈,というべきものなのである.

 例えば,私の高校の校歌 函館中部高校の校歌を例に挙げよう.

函館中部高等学校教諭 藤 原 直 樹 作詩 

函館中部高等学校教諭 酒 井 武 雄 作曲

(一)
火柱のはためく峰も 年古りて緑の臥牛
宇賀の浦風の砂山 波よせてくずれ流るる
見よや物なべてうつろふ 窮みなし流転の相

(二)
北の国雪深けれど その底に草は芽ぐめり
野山荒れ鳥潜めども やがて来ん春の光に
万象の蘇る見よ ここにあり不滅の生命

(三)
白楊のさやめく丘辺 秋深き梢仰げば
冴え渡る銀河の彼方 幽けくぞ星雲燃ゆる
胸に満つ久遠の思ひ 遥かなり真理の彼岸

(四)
限りなき流転の中に 生命あり不壊の学び舎
聞けや今窓の外遠く 新潮の入り来るひびき
よしさらば若人われら 踏まんかな希望の門途

 当時の当校の先生が作られたという.
 四季を織り込んで歌詞が作られている。
 また、文体も文語調で荘重。学校の校歌というものはこのようなものが定番ではあるが。
 今の私にこのような文章を書けと言われたも書けないであろう.


函館中部高校 (旧校舎)自分が通った時代の校舎


 さて,高校卒業後,2年間北海道大学に在学したが,ここには立派な寮歌があった.

前口上
吾等(われら)が三年(みとせ)を契る絢爛のその饗宴(うたげ)は、げに過ぎ易し。
然れども見ずや穹北に瞬く星斗(せいと)永久(とわ)に曇りなく、
雲とまがふ万朶(ばんだ)の桜花久遠(くおん)に萎えざるを。
寮友(ともどち)よ徒らに明日の運命(さだめ)を歎(なげ)かんよりは楡林(ゆりん)に篝火(かがりび)を焚きて、
去りては再び帰らざる若き日の感激を謳歌(うた)はん。

都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)
尽きせぬ奢に濃き紅や その春暮ては移らふ色の
夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸想ひを載せて
星影冴かに光れる北を
人の世の 清き国ぞとあこがれぬ

 作曲者は当時予科3年生であった赤木顕次(1891年 - 1959年)。作詞者は同じく2年生であった横山芳介1893年 - 1938年)。

北海道大学農学部

 見事な文章であるな,と思っていた.自分にはこのような文章は書けない.

 どのようにしたら,このような文章が書けるのかな,とはちょっと思っていたが,いろいろなことにかまけて実は真剣には考えていなかった.

 その後、医師になるために札幌医大を再受験して、同大を卒業した。時々、格調の高い文章を書くにはどうしたらよいのかな、と考えたこともあるが、すぐに消えてしまう。

 その後は多くの皆様と同じである.学生時代は瞬く間に過ぎ,社会人となり,仕事を覚え,世間に揉まれ,今に至った訳である.

 その時々に,あのような文章はどのようにしたら書けるのかな,と思ってはいたが、次から次へと毎日毎日いろいろなやる事があり,そのような想いも時々顔を出すことはあっても意識の地平に沈んで行く.石垣島で見える南十字星のように.

南十字星


その2は 私の具体的な今までの行動 COMING SOON!

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