諸橋轍次 著 中国古典名言事典 から 荘子 より
新専門医制度やそれに類するものの議論がどこか浅薄に思うのはこのようなことからかな。
医療技術の習得は大変であるが、その医師国家試験に受かり駆け出しのころの修行時代にはそれ以上のものが常に求められたし、自分も皆も求めていた。
技術の習得は簡単なことではなかったが、医局時代はそれが当たり前のことと、その組織の中では考えられていた。
簡単に言うと、論文を書いたり、研究をしたり、その道の最先端を探ることが良し、とされていた. 今思うに、それは、何か「道」を求めていたのではないだろうか。
いや、臨床を軽んじていたわけでは決してない。それは、出来ることが「当たり前のこと」と思われていて、それを当然のこととして修行していた。
今の、新専門医制度や総合診療医のお話。とにかく医療技術の話ばかり。
この庖丁(ほうてい)の気持ちが、私でもよく分かる。
ここまでの境地はなかなか大変であるが・・・お見事です
庖丁という料理の名人が、梁の文恵君のために牛の解体を行った。
庖丁の手を触れ、肩を寄せ、足が地を踏み、膝を屈ませる度に、牛は一種の音律を立ててさばかれ、刀を振るう度に、また響きわたり、それはまるで桑林の舞のようであり、また経首の会のようであった。
私が致しておるのは道というものであって、技よりも一歩進んだものであります。
私も解体し始めの頃は、牛の姿が目について居りましたが、三年して後には牛の姿が目につくことも無くなりました。
今では解体するに心を以て牛に向かい、目で視ることを致しません。
我が手足は自然と止するを知り、全ての動作を心に任せて居るだけなのです。
これは天理に従うが故に、大なる隙間に進み、大なる空隙に導かれ、その自然に適っているのであって、故に肯綮に当たるといえども刀は空虚を進むが如くにあるのです。
さすれば普通にある大なる骨節などは何のこともありません。
技に優れたる料理人も年に一度は刀を替えるといいます。
これが何故かといえば、その姿を視て切り裂いてしまうからなのです。
また、並みの料理人であれば月に一度は刀を替えるといいます。
これが何故かといえば、大骨にすら当ててしまうからなのです。
今、私の刀は十九年経ち、数千頭の牛に対して解体を行なっておりますが、その刃はまるで砥石にかけた直後の如くに鋭いままです。
牛は節あるものでありまして、その節には間隙というものがあり、刀刃はそれより薄いものであります。
その薄い刃が間隙に入るわけでありますから、刃は悠々として自由自在に動くことができるのです。
この故に十九年経った今でも、私の刀はまるで砥石にかけたばかりの如くに新しいままなのです。
ただ、そうは申しましても、解体して居る中には骨肉の密集した難所がございます。
その薄い刃が間隙に入るわけでありますから、刃は悠々として自由自在に動くことができるのです。
この故に十九年経った今でも、私の刀はまるで砥石にかけたばかりの如くに新しいままなのです。
ただ、そうは申しましても、解体して居る中には骨肉の密集した難所がございます。
その為し難きをみた時には、私は自らを戒めて、視ることを止め、刀の進みは遅々たるものになります。
そして刀を動かすことも甚だ微なるものになるわけですが、その動が定まったときに忽然として土が崩れ落ちるが如くに手足が勝手に動き始めます。
終えた後には、このなんとも言えぬ感覚に四方を見渡し、戸惑いと落ち着きが同居した感じを得て満足し、刀を拭ってこれを蔵めるのです、と。
文恵君は云った。
なんと善い言であろう。
吾は庖丁の言を聞いて、生を養い得た心持ちがする、と。
- 出典・参考・引用
- 安井小太郎述「荘子」養生主44/121
- http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_228.html より
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