2017年7月27日木曜日

日本人のための英語学習のゴール  ・・・8000の英文の準暗記の勧め

日本人のための英語学習のゴール
 ・・・8000の英文の準暗記の勧め

 何事にもゴールがある。ゴールが明瞭だから人はやる気になる。
 ゴール設定が不明瞭であったり、実現不可能なものであれば、やる気は起こらない、ないし、すぐになくなる。

 今日は日本人にとっての英語学習のゴールについて考えてみた。

 これも、受験生と成人ではゴールは違うであろう。

 受験生は入学試験に合格すること。
 ここでは、成人で、特にそのようなことがない人のための英学習について述べたい。
 また、中学英語は一応分かる(つもり、あるいは、分かったことがある、というのも可)というくらいの英語の学力を有する人を対象にしてお話をしたい。




私はこんな絵空事は言わない 聞かない 気に留めない

§1 どのようにするか? 英文の暗記、準暗記 こそが重要。

 英文法の本を用意する。高校生対象、あるいは、それ以上のものでも良い。
 そして、その中の8000文くらいをマスターする。

 8000文とは何か? マスターするとは何か? について述べたい。

 1)8000文とは何か。

 いわゆる高校用の英文法の参考書には、8000くらいの例文がそれこそ各々の文法事項にそって掲載されている。
 
 その他に、ことわざや金言を1000くらい覚える。これで終わりである。これでだいたい8000文から1万文くらいになるのではないか。一応、8000文と言うこととする。
 8000文とはこのような意味である。

 8000が多いか、少ないか。あまり調子の良いことを言ってしょうがない。安っぽい英語教材の謳い文句をここで皆様に聞かせる気も私にはない。
 語学のマスターは難しいことである。故に8000とか1万とか言う数字も出てくる。しかし、私のこれから言うことは現実不可能なことではない。むしろ、可能である。
 努力だけで何とかなることであるし、それは実のある努力であると確信する。

 英文法というのは解説を読んだら、するすると分かる、という代物ではない。体で分からないといけない。そのために、上記のように暗記、ないしは、文中の単語を2-3個隠されても分かる、とか、英語を聞いたら分かる、とか、いわゆる「準暗記」(後述)と呼べば良いのか・・・そのようなことをやっていくと、英文法がしっかりと体で分かるだろうし、これしか、理解の道はないのである。


だいたいこのようなものの中から選んでやっていくと良いと思う。


 2)マスターする、とは何か?

 8000文なりをどうするか。一番良いのは、暗記である。
 日本文を見たら英語で言えること。上記の8000文でこれができたら本当に素晴らしい。

 しかし、そこまで気張らずとも良いのではないかと思う。

 準暗記、というものでよろしいかと思う。
 準暗記、とは何か。

 各文でその文章中の単語を1個か2個隠す。

 それが分かるようになる。書けるようになる。それで良いと思う。

 さらに言うと、日本文もなく、英語の音源があればそれを聞く。そしてその隠した単語が分かると良いと思う。

 英語を3回くらい聞いて書けるようになっていれば良いのではないか。

 これが準暗記である。

 仮にこれをテストみたいので審査するとしたら、各分で単語を1個か2個隠す。それを当てる。

 ないしは、そして、1回か2回英文を聞いて、ブランクの単語を書く、みたいな問題がよろしいかと思う。

 センター試験のヒアリング試験はこのような感じで良いのではないか。
 今みたいなバカみたいな軽薄なスキットを聞いてくだらない質問に答えるような問題はあまりにもおバカすぎる。

§2 ゴールは?
 
 それが出来たらゴールと見なしたら良い。かなりの高い水準であると思う。 語学の勉強というのはこれでひと段落なのではないだろうか。


§3 更なる発展は? ネイティブを超えて

 「更なる発展を目指し、ネイティブを越える」何やら大言雑語をしているように思われるかもしれない。

 具体的に述べていこう。
  
 私の言いたいところは明確である。

 英語の文学作品を読みたい人は読んだらよろしい。英米人のネイティブ以上に読めるようになるだろう。英米人でも著名な文学作品を読み込める人はそうはいない。

 私のように、仕事で使いたいとする。例えば、私は医師であり、骨粗鬆症を専門としている。されば、骨粗鬆症の医学論文を読んだら良いのではないだろうか。もちろん普通の英米人のネイティブよりも読めるであろう。まあ、私はこのような訓練を受けてきたので、普通の英米人よりは、整形外科関係の論文や骨粗鬆症の論文ならば、もちろん読むことが出来ると思う。

 「学生時代6年間も英語を勉強して新聞すら読めない」と嘆く人もいる。新聞や雑誌は意外と難しい。アメリカの、あるいはイギリスの、話題の中心になっていることを知らなくてはいけない。それでないと理解できない。なぜか。そのようなことは書いていないから。

 例えば、日本でも、たとえば、日本ハムのファンであれば「大谷翔平」と来たら、10か20のことは言わなくても了解事項なのである。
 北海道の球団 日本ハム・ファイターズに所属。まだまだ若手であるが、プロでは珍しくピッチャーで4番バッターであること。怪我をして休んでいる。そろそろ復帰しつつあること。日本ハムのメディカルチームにちょっと活けていない面があったのではないか、ということも言われていること。
 このようなことは誰でも知っている。故に新聞もこのようなことを前提として書かれている。故にこのようなことを知らないと新聞を読んでもわからないしピンと来ないだろう。

 故にあちらの新聞を読む、という目標を自分の中で設定したとしたら、さらに、どの分野の記事を読みたいのか、まで設定する。政治、経済、スポーツ、芸能界のこと。それぞれの分野の今のあちらのホットな話題をある程度探り精通する。かつ、このような分野分野では、特殊な用語、つまり専門用語を使っているので、それも覚えておく。
 そのようなことをすれば、新聞を読むこともそんなに難しいことではないだろう、と思う。



§4 あらためて、英検 や TOEICなどの検定を考えると・・・

 §2でやったような勉強をするとそれ自体が目標になる。「チャート式 全部終わった」とか「英文法解説(江川泰一郎 著)を半分終わった」でも良い。
 すると、特に、英検、とか、TOEICとかいう、既存の検定試験を意識する必要など、もう無くなると思う。
 それよりも自分の仕事の分野、自分が本当に好きな分野の英語での情報を積極的に取って行くほうが、英検、とか、TOEICなどよりも実のあることであろう。


世の中にはいろいろは英語関連の検定試験があるが・・・・



§5 英語社内公用語化の楽天の失敗の原因は何か?

 7-8年前に楽天の三木谷社長が、楽天社内での英語公用語化をぶち上げ世間を驚かせた。しかし、私は最初からこれは失敗する、と読んでいた。
 なぜか。英語で情報を取る、ということは必要であるし、重要である。素直に考えると、であれば、そうやったら、というだけである。

 企業であれば、技術部門、販売部門、マーケッティングなどいろいろな部署がある。それぞれの部署で英語ででも、ドイツ語ででも中国語ででも、時にアラビア語ででも情報をどんどん取っていけば良いのである。楽天のような大企業になったら、なおさらそうであろう。

 しかし、楽天は何をトチ狂ったか、TOEICの「社内コンテスト」を始めたのである。TOEICで良い点を取らないと上にもいけないし、降格される、と明瞭に行ってしまったのである。

 楽天の社員にとって仕事の内容より、TOEICこそが重要なこととなった。
 しかし、TOEICなんて、どこまで行っても一つの検定試験に過ぎないし、社会人にとっては「趣味」なのである。
 そんなものに社員の全精力を使わせてしまった。結果・・・
 
 無残である。
 英語公用語化を上げた時、楽天はこの分野の少なくても日本国内ではトップであった。というか、アマゾンもまだまだ影が薄く、ネット通販では、楽天の一人勝ちであった。
 しかし、今はどうか。アマゾンには世界ではおろか、日本でも大きく水を開けられている。
 また、電化製品ではヨドバシみたいなリアルショップで、また、事務用品はアスクルのような専門的なネットショップで、と消費者も動いている。楽天の出番はどんどん縮小している。
 三木谷は社員の向かわせる方向を間違えたのである。間違えた方向に走らせてしまった。一趣味に過ぎないTOEICである。
 本来なら、仕事に向かわせるべきであった。つまり、ネット販売どうするか、ということである。
 まあ、なるべくしてなった、というだけであろう。


TOEICで700点とか800点を取ったという人がいる。
出来るんだなあ、と思う。
でもあくまでも、成人にとっては趣味なのである。
趣味が仕事に役立つこともあるだろう。素晴らしい。
 それがお金に結びつくこともあるだろう。
三線を弾いたら、宴会がすごく盛り上がった、ということもある。
それはそれで私にとって気持ちの良い体験であった。
しかし、社員全員を社主がお好みの特定の「趣味」に向かわせてしまってどうする。

楽天はそれをやってしまった、というだけではないか。


§6 私の立ち位置
 私がなぜこのようなことを書いているのか、というと、結局思うに英語の教育論、ということを考えることが好きなのだろうと思う。
 受験生は受験英語を一生懸命やったらよろしいかと思う。それが目標なのだから。
 私が考えているのは、成人の、あるいは、社会人の英語の勉強はどうあるべきか、ということ。
 自分はあまり英語は得意ではないと思う。他の人に比べて不得意と小さくなる必要もないと思うが、得意だ、と増長していうほどでもない。

 自分なりに色々試してみて、結局は§2で述べた文法の参考書を暗記、ないしは、準暗記、さらに英語のことわざ、名文を1000ほど、これも暗記、準暗記をすることにより、英文法を体でマスターする、という勉強法に尽きる、と思う。

 それがひと段落したら、あとは各々のやるべき分野、仕事でも己の好きな分野での英語の力を伸ばせば良いのだ。別に、英検、TOEICなどの検定の点数を気にする必要などないと思う。

 もっと言えば、人には、得手不得手がある。
 言うまでもないことだが、英語がすべてではない。
 サッカーでもゴルフでも、格闘技でも良いではないか。
 ギターでも三線でもよろしいかと思う。

 好きなものを突き進めば、人生で大きな実りを手にすることが出来るであろう。


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