おはようございます。
今日は、言葉の話題。最後に文法軽視の最近の英語教育、それを指導する財政諮問会議の三木谷こそけしからん、という話で終わる筋書きであるが。
趣味として、三線・八重山古典民謡をやっている。
これをやる上で避けて通られないのが、言葉である。
つまり、八重山の言葉、石垣方言 をどうするか、である。
沖縄本島も手強い方言を使うが、八重山はもっとディープである。
沖縄の言葉は日本語と奈良時代の少し前に分離したと言われている。
故に、古語に似ている。古語は、平安時代のものを主にしている。
沖縄の言葉はそれ以前に分離し、またそこで独特の変化、発展をしている。
とは言え、八重山の言葉は日本語とは親戚関係にある。
語感が似ているし、言葉の変化、特に動詞の変化も似ている。聞くと、そのような感じなのかな、と思う。英語のように、冠詞があるわけではない。
文法上、難しいのは、日本語もそうであるが、動詞の語尾の変化である。これが助動詞や助詞と結びついて変化する。これが難しい、
例えば、「走る」(はしる・・日本語)は、八重山言葉では「ぱしるん」漢字を合わせて書くと「走(ぱし)るん」 なるほど日本語と似ている。
さて、これがどう変化するのか。
日本語でも、「走る」は、以下のようにいろいろ変化する
走られる(未然形 可能を表す)
走った(過去)
走ってしまった(過去完了)
走る時(時という名詞に接続するから連体形)
走った時(過去の連体形)
走り登る(走る と 登る という2つの動詞が重なっている。動詞に重なるのは連用形)
走ります(「ます」という丁寧な助動詞 これに繋がる連用形)
お走りになる(尊敬語)
走ってみよう(自発を表す 志向形)
などいろいろあり、それぞれに文法の名称がついている。
では、八重山の言葉で「走る」つまり「ぱしるん」はどのような変化をするのであろうか。
図1 ぱるん(走る)の変化
このようにいろいろな変化をしている。
これが、言葉の難しさであろう。
日本語、八重山言葉の共通して持つ難しさである。
これを小さい時から八重山で育ち、この言葉を使っていると、自然に身についてこのような変化が自然にわかるようになる。
しかし、八重山で生まれ育った人以外は違う。ではマスターするにはどうするのか?
この、変化する仕方に何がしかの法則性はないか、ということになる。
それが文法なのである。
まず、表を改めて見ていただきたい。
「ぱしるん」をいろいろ分けて見た。
まず語幹である。ここは変化しても変わらないところ。
語尾、接続語句 も変わらない。
変わるのは、「変化部」である。これが「ぱしるん」の場合には「ラ行」で変化するのである。
この動詞の変化の仕方に基づいて八重山出身の文法学者の宮城信勇先生は「石垣方言辞典」の中で
しかし、ここに何か法則性はないのか。この法則性こそが文法である。これが分からないと全部の動詞のいろいろな変化を一つ一つ探らないとマスターができないことになる。もちろん適当に、雰囲気で、で出来るわけがない。
八重山の言葉の動詞に関しては、動詞の変化は15通りに分類されている。
15通り、といっても頻繁に使われるのは5通りくらいのもので、あとの10種類は、例外的な変化をする動詞である。ひとつの分類に該当する動詞が一つしかない、というものもあるのだ。(例えば、第9類 は、「ある」という意味の「あん」しかない)
文法というものは一見面妖ではあるが、ある種のリズムがあり、慣れてくると動詞を見たら、その原形の予想がつき、すると、どのように変化するか、その分類がわかるようになる。私もまだ、八重山の言葉をこのように勉強したのは、ここ1ヶ月くらいのものなので、ここまでは行ってはいないが、もう1ヶ月くらいこのようにやっていけば、そのくらいになるのではないだろうか。
最近、英語のお勉強のことで、政府のおエラ方が、英語は文法を覚えずに雰囲気で掴むのが良い、みたいなことを言っている。また、それに乗じて、スピードラーニングのように「英語の文法は勉強するな」とまで言い切って宣伝しているものもある。はっきりいうが真っ赤な嘘である。改めて最近八重山の言葉を勉強して、語学をマスターするにあたり文法こそがもっとも重要であることを再認識させられた。
さて、実際の歌で見ていこう。
取り上げるのは、八重山古典民謡の代表的傑作 鳩間節
図2 鳩間節 歌詞とその意味
実際の歌はこちら
さて、漢字でも書かれているし、言葉も似ているので、何となく分かる。
なるほど、日本語と八重山言葉は親戚の言葉なのである。
しかし、これを徹底的に分かるにはやはり文法を使い解析を試みなければならない。
単語、特に名詞は簡単である。「下」は「すぃた」というのである。それだけである。
動詞も似ているから分かる。
「ぱりぬぶり」は「走り登り」である。
今、徹底的に妥協のない完全理解のためにはどうしたら良いか。
単語を見る
名詞は簡単。
まず、鳩間中岡(はとま なかむるぃ)。
鳩間中岡(はとま なかむるぃ)とは地名である。鳩間島は周囲4kmの小さい島。サンゴ礁の島で隆起はないが、島の中央の一番高いところは海抜30m。くばの林が美しく生い茂ったところである。
鳩間中岡
結局、この「ぱりぬぶり」を理解しなければならない。あと難しい語はない。
走る、を意味する「ぱるん」が、なぜ「ぱり」となるのか?
動詞の「登り」に繋がるから、連用形となる。表を見ると、「連用形1」に「ぱり」とある。これである。
「ぬぶり」も同様の変化。1Aの変化動詞。
歌の終わりは、連用形になることが、多い。日本の和歌や短歌でも多い。
これは連用形、あるいは、接続形 と見ることができる。
このようにして唄を解析していこうと思っている。
それが、八重山民謡のより深い理解に繋がるのではないか、と思うからである。
また、昨年の6月のコンクールの会場で、八重山民謡の中核的な師匠から、「君は島言葉(八重山の言葉)を分からないだろう。それでは、ちゃんとした歌は歌えない」とのご指摘を受けたのである。
私も他の生徒と同じように、例えば上の鳩間節ならば、唄を聞いただけではたしかに意味は分からないが、図2のように歌の本を見ると理解できる。それでよし、としていたが、それではダメなのであろうか、と思った。そしてこのような勉強を始めたのである。
さて、最後に最近の英語教育の憂慮していることについて述べよう。
小学校でまで英語を勉強しよう、などと言っているが、小学校から高校まで英文法をなぜか理由なく軽視して行なっているようだ。
雰囲気で掴むのだ、とか、ネイティブは文法など勉強しないから、と言っている。
しかし、これでは英語を理解することは100年やっても不可能であろう。
英語の勉強 日本語との違いを学び、覚えるべきところは覚える。
例えば、単語である。犬はdogで猫はcat。なるほど違うのである。これを覚える。
しかし、このように、英語と日本語の意味が一意対応しているものは良い。そのまま覚えたら良いのだ。
しかし、have とか get とか、as のようにいくつも意味があるもの、これこそが難しい。haveに至ってはこれは文法も理解しなければならない。
haveなんて、日本語では「持っている」という意味しかないが、英語ではそうではない。
現在完了 過去完了にも使うし、あと仮定法にも使われる。
単語の理解と並んで大事なのは、文法である。
先の仮定法 ならば、英文法の仮定法の章の所の英語の文章を読んでいく、そして理解していけば良い。そこには、仮定法の説明も書いてあるから、きっと理解できるであろう。
しかし、英文法というもの、体で分からなければならないことがある。
故に、そこにある文章を暗記していけばよい。
すると「仮定法」というグループで文章が頭にピタッと入る。これが徹底的な理解に繋がる。
はっきり言って、高校の参考書 チャートでも、フォーレストでも、そこにある英語の文章を覚え、と同時に文法の説明を理解できれば、英語の勉強は終わりである。そのようなものではないだろうか。
あと訓練のために、英文解釈、英作文、聞き取り、みたいな問題を解く、ということがあるのだ。
つまり、英文法こそが英語の勉強の柱であるのだ。
先の八重山の島言葉。
日本語とは親戚関係 類縁語である。似た単語も多い。
日本語もそうであるが、文法の肝(くぃむ)は動詞の変化である。動詞と助動詞の結びつき。その時の変化である。
これが難しい。しかし、その壁を超えなければならないと思うのである。
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