こんにちは
漢字検定まで,あと3週間を切った.2/8(日)が試験日だ.あっという間だ.
未だ余裕があると思っていたが,けっこうまたまたキツキツだ.
とにかく総復習だ.やったところを総復習.新しい物はできない.する必要も無いが.
今,漢字の読み をやっている,
新星出版の問題集
過去問 平成21年からのもの
征服問題集(分野別問題集 漢検出版)
やってみて,出来ない物を書き出している.意味のあやふやな所は辞書を引く.今回は漢検辞書の他に,漢字源 という辞書も使っている.
漢検でさらりと書いてあり,ちょっと物足りない所は,漢字源を使っている.
漢字の成り立ちや意味,そして,熟語が多いのが良い.欠点は,訓読みをきちんと書いていない.これはどのようなわけだろうか.
まあ,良い.上級者の辞典になると,訓読みをしっかりと書いていない様だ.
このような所は,改めて漢検辞典でチェックだ.
さすがに3度目.復習してもけっこう解ける.でも間違う所がある.1割くらい.
何度も同じ所を間違っている.重点チェックであろう.
伏見啓明整形外科 札幌骨粗鬆症クリニック 公式ブログ:日々の出来事,医療に関して思うこと,日本の医療政策,のことに関して書き綴りたいと思っております.また,琉球三線,八重山古典民謡,漢字検定1級受験のことなどを人生録として書いて行きます.URL : https://sapporosis.wixsite.com/fushimikeimei
2015年1月21日水曜日
2015年1月16日金曜日
姑息的な英語勉強法 のご紹介
こんばんは
今日は姑息的な英語勉強法というものをご紹介します.
TOEIC 何点,とか,自分の子供の英会話 ということに血眼になっている 人にはある意味,目から鱗でしょう.
私の言いたいことは,このような発想もあるのだ,ということ.
元Google Japan社長だった村上憲郎さんのちょっと姑息的な英語勉強法という発想kというものがあるようです。
村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける
http://www.amazon.co.jp/村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける-村上-憲郎/dp/447800580X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1421366880&sr=8-1&keywords=村上式シンプル英語勉強法
例えば「会話については、パーティーなどで2時間、自分のことを話せることを目標に置く。そのためには自分で自分の関心事で100の英文を英借文し、丸暗記する。」といった具合に、直球勝負というよりは、ちょっと開き直ったスタンスの勉強法ですね(真面目にやると結構大変と思います)。
自分は英語ができないということを認識したうえで、どういう風なアプローチをしたらよいかという発想が面白い
この開き直りがある意味さすが思いました。
思うにこの「姑息的な英語勉強法」 というのは,面白い発想であるとともに,ある意味で,最強の英語の勉強法だと思います.
というか,中国人とかインド人とか,語学の習得が早い,とか言われるが,結局このようなやり方をしているように思います.
彼らは本能的に,歴史的に生きて行くための語学というものを知ってるのではないかと思っています.
知らない外国の土地に戦乱の本国から逃れてそこで生活するための語学 というのが身に染みているように思います.
それが我々日本人にはある意味で逞し く見える のかもしれない.
そしたら日本人は何か.日本人は語学に弱いのか 日本人は英語が下手なのか
いや,そのようなことはないと思います.
まず,歴史的に見て,中国の漢字を訓読,返り点などを駆使して自家薬籠中のものとしたのは,周辺国で日本だけです.
また,本家の中国でさえ,中国語の欠点をもろに露呈し,昔の文献を読むのに昔の科挙の時代から苦労していたそうです.
例えば 「人 行 道」 なんて文章があった場合,人が道を行く のか,人が行った道 なのかは,中国語の書き言葉は曖昧になります.また,終止点や句読点が中国語では本来なかったみたい .
結局,日本人により返り点などがつけられた文章の方が意味がすっきりと取れる様です.だから我々の方が中国古典に親しめるらしいです.
確かに,私もあちらに居る時にラボに居る中国人とそれとなしに,中国古典の話をしましたが,彼らの方が私より知識不足 というか,愛着が私よりない.
漢文不勉強 理系の私よりですぞ. 非常にドライです. そんな黴臭い物より,今は英語だろ,と言わんばかり.これは私の直感です.
あと,江戸末期 西洋羶腥の徒(せいようせんせいのと : 西洋の生臭い奴ら,という意味),我が国を征服すべく迫る折,その恐怖に戦き(おののき)ながら,彼らの文明を果敢に取り込んで行ったのは,薩摩,長州,佐賀藩などの,西国の諸藩であった.
彼らは電気を起こしたり,反射炉を作ったりしていたのである.これはどのように作ったのか.
向こうから技術者が来て教えてくれた訳ではない.彼らが向こうの本をポツポツと翻訳して,それを元に,反射炉を組立てて鉄を作ったり,電気を起こしたり,ガラス(薩摩切り子です)を作ったりしたのである.
つまり,これを見ると,日本人は,向こうの文献を正確に読み込むことに世界一長けていると思われる.
私はもちろん余所 の国の英文法の本を見たことがないが,日本の英文法の本は,世界最高水準を行っているらしい.
故に,これを完璧に身につけると,欧米人よりも高い英語能力を身につけられると言っても過言ではないそうだ.
これは,渡辺昇一先生らが,よく言っている.
何かそのようなことは薄々と感じていました.
私も留学していたおり,確かに英会話は弱かったが,見ていると,英単語はオレが一番知っているかもしれないなあ,とボンヤリとは思った.
また,英語の字は私が一番きれいでしたね.結局は彼らは筆記体が書けなかったみたいです.中国人も漢字が下手くそでした.
ペンマンシッ プという観念がないようです.
故に,我々は我々の強みを強く活かして行けば良いのではないだろうか.
つまり,1)家庭の中でのレベル そして,2)高度なことを考えるレベル の2種類があるうちで,母国語である程度,2)を鍛えておけば,あとは,文法と単語を覚えて一気に英語もそ
のレベルまで持ち上げられるというやり方.
わざわざ,英会話 英会話と馬鹿見たいに言う必要はないと思います.
もう遅いのでこのくらいにしておきます
それではおやすみなさい. Good night! folks!
2015年1月12日月曜日
英語ごっこ オールイングリッシュの愚
こんばんは
また,英語関連のお話です.
まず,日本語を磨くという話から.
日本語を磨くために,古典,漢文の素養が必要,とのこと.私もそれは正しいと思います.
でも,どのようにアプローチすべきなのでしょうかね.
昔の人,例えば新渡戸稲造とか,かつての士族の藩校では,漢籍を相当勉強したようですね.四書五経の暗記をしていたのでしょうか.
それによって,あの武士道に見る様な瞠目すべき文章力を身につけたのでしょうかね.
あと,その磨かれた日本語を土台にして英語を勉強 あの「武士道」を書いたのですね.
艶のある英語に驚かされます.また,英語の本も幅広く読んでいらっしゃる.
しかし,今,私に,新渡戸稲造がやったような,四書五経の暗記が大事だと言われても,これを勉強するとなると二の足を踏んでしまうのが正直な所です.
皆様もそうなのではないでしょうかね.
高校時代古文,漢文を真面目にやらなかったことがいけなかったのか,と悔やむ向きもありますが,私もあまりやりませんでした.実際の所,やる時間がなかったです.
数学と英語で一杯一杯でした.その他に理科も大事だし.あと,私は理系だし共通一次の第1期生でしたので.
藩校でどのように漢籍を教えていたのかは興味がありますね.やはりノウハウがないと勉強ができないです.
また,自分の実生活上に何らかのメリットも欲しいモノです.メリットが感じられれば良いのです.それは独りよがりでも良いのです.
と言うわけで,今,メリットが感じられるものとして,漢字検定に取り組んでおります.準1級を5年前にとり,去年から1級に挑戦し,今度の2月8日に3回目のチャレンジとなります.
漢字検定1級というと,やたら難しい漢字を覚える物好き,ゲテモノ漢字大会のイメージを持たれている人が多いのですが,それは違います.歴とした(れっきとした)日本語の勉強です.
驚くほど,語彙力が身に付くのが勉強していて感じます.これがメリットですね.四字熟語,故事諺も非常に含蓄深いです.
ところで英語の話.
前にこんなものを書いていました.(小生の漢字検定のブログに載っていました)
子供を大きく育てるには,小学生の英語教育とか鼻で笑って差し上げるのが,お後がよろしいようです.
小学校で英語をやると言ったって,英語お遊びです.こんなの学力に差がつきません.このようなことに惑わされて,子供をダメにしない様に注意された方がよいですよ.「ゆとり教育」のように,ブームが去れば終わります.
英語ごっこ オールイングリッシュの愚
http://kanjifirst.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
専門家の書いた物にコメントしただけですが,さすが専門家の意見は含蓄深いですね.
**************************************
『三橋貴明の「新」日本経済新聞』
2014/05/02
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
おっはようございま~す(^_^)/
東田剛さんは、最近、替え歌にはまってますね~。毎回、楽しみです。
さ きほど先日の東田さんのメルマガの「YMCA」ならぬ「USTR」の歌詞を、「YMCA」のyoutubeを聞きながら見ていたのですが、おかげでいま頭 の中でずっと「フロマン! タフネゴシエ~ター、フロマン! ウォール街しゅーしん、フロマン!…」と替え歌が流れてしまって離れません…。こまったもん です。
えっと、気持ちを切り替えましょう。
最近、気になったニュースがこちらです。
「文科省、省内会議に英語導入「まず自分たちから」(『日経新聞 電子版』2014年4月30日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG28049_Q4A430C1MM0000/
英語教育をめぐる議論を活発化させる目的で、文科省が省内の会議の一部を英語で行うことにしたというニュースです。省内の英語教育に関する企画立案にかかわる部門の会議の一部を英語で行うということです。
記事によると、文科省の幹部は、「職員自らが英語を活用することで、英語教育への視野が広がるはずだ」と期待しているそうです…。
このニュースを読んで、私は頭が痛くなりました。日本の教育行政をつかさどる中央官庁が、日本人だけなのにたどたどしい英語を使って、日本の英語教育の在り方について会議している姿は滑稽でしかないですね。
(´・ω・`)
いい大人は「英語ごっこ」なんぞしていないで、日本国民の将来にとって外国語教育がいかなる意味で必要なのか、国語教育とのバランスをどのように考えるべきなのかなどについて真剣に討議してもらいたいと思います。もちろん日本語で。
しかしアメリカ人は、日本の文科省で日本人同士が英語で会議しているのをみたらほくそ笑むでしょうね。「日本人も劣化したなあ、こんな国民には金輪際負けることはないなあ」と。
も し立場を入れ替えて、アメリカの役人たちがアメリカの教育省で自分たちだけなのにたどたどしい日本語で会議をしていたら、多くの日本人はそれを微笑ましさ と憐れみを感じながら見つめ、「アメリカも劣化したよなあ」と思い、アメリカという国を軽く扱うようになるのではないでしょうか。
(´・ω・`)
文科省は、最近、ますます「教育のグローバル化」なるものに熱心です。
例 えば、上記の日経電子版の記事の後半でも触れられているのですが(登録が必要なのでみられない方も多いかもしれません、すみません)、文科省が昨年12月 に公表した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」によると、小学5年生から英語を正式教科化し、週三時間それに充てるようになるそうです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1343704.htm
また「モジュール授業」なるものも導入し、英語の授業のない日も、15分程度、英語の「聞き取り」や「発音」などの反復練習に充てる時間を取りたいと考えているようです。
日本語もまだ不確かな小学生にそんなことする必要あるんでしょうかね。英語圏で将来働きたいという希望を持っている子が大多数だというわけでもないでしょうし。
ちょっと意地悪な言い方をするとすれば、文科省は、日本が将来、アメリカの正式な属国になると予想しているのかもしれません…。
中 学に目を移すと、中学校の英語の授業は、原則英語で行うことにするようです。高校では昨年度の一年生から始まっていますが、「英語の授業は全部英語でやる べきだ!」といういわゆる「オール・イングリッシュ」という取り組みです。数年後には、それを中学校レベルでも導入しようというのです。
基本的に、英語の時間は日本語禁止で、文法の説明も英語で行い、訳読はしないというのでしょう。ただ、高校の英語の先生に尋ねたところ、現場はやはりそういうわけにはいかず、文法や単語の説明は日本語でするし、和訳も当然しているとのことでした。
ですが、文科省が「英語の時間は英語でやるのが基本」だと強く打ち出していますので、数年後には、英語の時間に日本語を用いる中学や高校の先生がたは、うしろめたさを感じるようになるのではないでしょうか。
不思議なことに、英語教育の専門家には、中学校や高校における「オール・イングリッシュ」の英語の授業を推奨する人は少ないようです。また、英語教育学の研究者のなかでは、「英語は英語のみで教えるべきだ」という説は、学術的に正しくないという意見がかなり強いようです。
た とえば、イギリスの応用言語学の大家ガイ・クック氏は、「オール・イングリッシュ」のように児童・生徒が日常使っている言語を教室から排除する教授法のこ とを「直接教授法」と呼び、これを批判しています(クック/斉藤兆史、北和丈訳『英語教育と「訳」の効用』研究社、2012年)。
クック氏は、「英語は英語で教えられなければならない」とか「ネイティヴ・スピーカーこそが最良の英語教師である」というような一連の「直接教授法」の考え方には、学術的根拠はあまりなく、それが広まったのは、むしろ「商業上の理由」からではないかと述べています。
つ まり、つまり「英語は英語で」とか「ネイティブの先生こそ最良の教師だ」という見方が広まれば、イギリスやアメリカなどの英語国の出版社や学校は、相手国 の言語や文化に関係なく、自国の教師や教材を一律に輸出できるので都合がいい。そういうビジネス上の都合から、直接教授法が正しいものとして世界に広まっ ていっただけなのではないか、と推測しています。
同じように、言語教育の専門家ロバート・フィリプソン氏も、世界の 英語教育業界において、誤っているのに広く受け入れられてしまっている5つの誤謬を列挙しています(フィリプソン/平田雅博ほか訳『言語帝国主義──英語 支配と英語教育』三元社、2013年(原初は1992年に出版))。
興味深いので5つとも書いておきます。
(1)単一言語使用の誤謬、つまり「英語は英語で教えるのが最もよい」という信条
(2)母語話者の誤謬、つまり「理想的な英語教師は母語話者である」という信条
(3)早期教育の誤謬、つまり「英語学習の開始は早いにこしたことはない」という信条
(4)最大受容の誤謬、つまり「英語に接する時間は長いにこしたことはない」という信条
(5)減算的言語観の誤謬、つまり「英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる」という信条
フィリプソン氏は、多くの論拠を挙げながら、これら5つの信条がいずれも誤りで、学術的根拠はあまりないのではないかと論じています。
たとえば、(1)に関しては、児童・生徒がすでに身に付けている言語の土台があり、それに十分関連付けられて初めて外国語の学習が進むのであり、そうした関係を軽視してはならないという点に言及しています。
(2) については、たとえば、学習者と言語や文化を共有し、また自らが第二言語として英語を学習してきた経験を持つ非母語話者のほうが、学習者の言語的および文 化的ニーズをよく理解しているため、単なる母語話者よりも教師としてふさわしいとする研究を示しています。そして「理想的な英語教師を母語話者とすぐに結 びつける発想自体が拙速である。この信条は科学的妥当性をもたない」と論じるのです。
フィリプソン氏も、「単一言語 使用の誤謬」や「母語話者の誤謬」が学術的裏付けが乏しいにもかかわらず広まった原因について、これらが広まることによるアメリカやイギリスなど英語国や そこの各種業者の政治経済上のうま味について指摘しています。アメリカ人やイギリス人の英語教師は、相手国の言語や文化を知らなくても、英語教育関連の世 界中の職場で職を得られるようになるわけですし、アメリカやイギリスの出版業者は相手国の言語・文化にかかわらず世界中に教材を売ることができるようにな りますので。
フィリプソン氏は、「単一言語使用の誤謬」がもたらす学習者への心理的な悪影響についても強調します。学習者の言語を教室から締め出すことは、学習者の言語や文化が劣ったものだと意識させることにつながらないかと懸念するのです。
フィリプソン氏によれば、ドイツの言語や文化の広報機関であるゲーテ・インスティテュート(ドイツ文化センター)の付属のドイツ語学校も、かつては単一言語使用の方法論に従っていたそうです。
し かし、ゲーテ・インスティテュートは80年代にこの方針を改めました。「学習者の母語を教室から締め出すような教育は、彼らに疎外感をもたらし、彼らから 文化的アイデンティティを奪い取り、異文化間コミュニケーションの能力の向上ではなく文化変容を引き起こす」と指摘されたからだそうです。
フィ リプソン氏は、この点について、「確固たる文化的アイデンティティを身に付けていると考えられる成人の学習者に対する外国語としてのドイツ語教育にすら、 こうした異論があるというのであれば、感受性の強い子供たちに一言語のみを用いて行う教育が壊滅的な結果をもたらしうることは想像に難くない」と論じてい ます。
私も、中学校や高校での「オール・イングリッシュ」の方針は、「百害あって一利なし」に近いんじゃないかと思います。
中学、高校の英語の時間は、せいぜい週5時間程度でしょう。一年35週、一時間の授業が50分だとすると、英語の時間は、一年365日中、丸6日程度しかありません。学校教育の外国語学習など、時間的にみれば、たかが知れています。
丸6日程度のうち、英語の音に触れたり、英会話の練習をしたりする時間が授業内で少し増えたところで、たいして英会話がうまくなったりするものでもないでしょう。
そ れよりも、「オール・イングリッシュだから日本語禁止!」とか、「小学校から英語を学ばせなければ!」とか、「スーパーグローバル人材だ!」とか、「会議 は英語でやるお!」とか、グローバル、グローバル、英語、英語と大人たちが叫んでいることの子どもに与える悪影響の方が心配になります。
このような状況は、子どもたちに、「英語や英語文化のほうが、日本語や日本文化よりも圧倒的にえらい」という見方をはからずも刷り込こんでいるのではないでしょうか。
以前のメルマガ記事でも書きましたが、日本の文教政策の短期的な目標の一つとして「英語力向上」というのがあってもいいとは思いますが、それが日本の教育政策の柱となってしまうのはまずいでしょう。
いくら日本人の英語力が向上したといっても、アメリカ人やイギリス人の英語力には適うわけありませんし、おそらく日常生活で英語を必要とするシンガポール人やインド人、フィリピン人にも勝てないでしょうから。
で すので、日本の政策目標としては、「たとえ英語ができなくても、豊かになれ、多様な機会が得られる国づくりを維持し徹底する」のほうがずっと望ましいで しょう。(また「英語による文化支配が事実上行われている世界の現状を長期的には是正し、公正化をはかる」という国際戦略も必須でしょう)。
文科省は、東京オリンピックが開かれる2020年をめどに英語力向上!と叫んでいますが、片言で英会話できる日本人が少々増えたところで別に外国の人はよろこばんでしょう。
それよりも、「日本人は英語がかなり下手だけど、街は豊かさにあふれ、清潔で、安全だ! そして人々は親切だ!『英語化=近代化』などではなかった」という当たり前の事実を外国の人々に認識して帰ってもらった方が今後の世界のためにずっといいように思います。
いつにもまして長々と失礼しますた…
<(_ _)>
また,英語関連のお話です.
まず,日本語を磨くという話から.
日本語を磨くために,古典,漢文の素養が必要,とのこと.私もそれは正しいと思います.
でも,どのようにアプローチすべきなのでしょうかね.
昔の人,例えば新渡戸稲造とか,かつての士族の藩校では,漢籍を相当勉強したようですね.四書五経の暗記をしていたのでしょうか.
それによって,あの武士道に見る様な瞠目すべき文章力を身につけたのでしょうかね.
あと,その磨かれた日本語を土台にして英語を勉強 あの「武士道」を書いたのですね.
艶のある英語に驚かされます.また,英語の本も幅広く読んでいらっしゃる.
しかし,今,私に,新渡戸稲造がやったような,四書五経の暗記が大事だと言われても,これを勉強するとなると二の足を踏んでしまうのが正直な所です.
皆様もそうなのではないでしょうかね.
新渡戸稲造
高校時代古文,漢文を真面目にやらなかったことがいけなかったのか,と悔やむ向きもありますが,私もあまりやりませんでした.実際の所,やる時間がなかったです.
数学と英語で一杯一杯でした.その他に理科も大事だし.あと,私は理系だし共通一次の第1期生でしたので.
藩校でどのように漢籍を教えていたのかは興味がありますね.やはりノウハウがないと勉強ができないです.
また,自分の実生活上に何らかのメリットも欲しいモノです.メリットが感じられれば良いのです.それは独りよがりでも良いのです.
と言うわけで,今,メリットが感じられるものとして,漢字検定に取り組んでおります.準1級を5年前にとり,去年から1級に挑戦し,今度の2月8日に3回目のチャレンジとなります.
漢字検定1級というと,やたら難しい漢字を覚える物好き,ゲテモノ漢字大会のイメージを持たれている人が多いのですが,それは違います.歴とした(れっきとした)日本語の勉強です.
驚くほど,語彙力が身に付くのが勉強していて感じます.これがメリットですね.四字熟語,故事諺も非常に含蓄深いです.
ところで英語の話.
前にこんなものを書いていました.(小生の漢字検定のブログに載っていました)
子供を大きく育てるには,小学生の英語教育とか鼻で笑って差し上げるのが,お後がよろしいようです.
小学校で英語をやると言ったって,英語お遊びです.こんなの学力に差がつきません.このようなことに惑わされて,子供をダメにしない様に注意された方がよいですよ.「ゆとり教育」のように,ブームが去れば終わります.
英語ごっこ オールイングリッシュの愚
http://kanjifirst.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
専門家の書いた物にコメントしただけですが,さすが専門家の意見は含蓄深いですね.
**************************************
『三橋貴明の「新」日本経済新聞』
2014/05/02
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
おっはようございま~す(^_^)/
東田剛さんは、最近、替え歌にはまってますね~。毎回、楽しみです。
さ きほど先日の東田さんのメルマガの「YMCA」ならぬ「USTR」の歌詞を、「YMCA」のyoutubeを聞きながら見ていたのですが、おかげでいま頭 の中でずっと「フロマン! タフネゴシエ~ター、フロマン! ウォール街しゅーしん、フロマン!…」と替え歌が流れてしまって離れません…。こまったもん です。
えっと、気持ちを切り替えましょう。
最近、気になったニュースがこちらです。
「文科省、省内会議に英語導入「まず自分たちから」(『日経新聞 電子版』2014年4月30日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG28049_Q4A430C1MM0000/
英語教育をめぐる議論を活発化させる目的で、文科省が省内の会議の一部を英語で行うことにしたというニュースです。省内の英語教育に関する企画立案にかかわる部門の会議の一部を英語で行うということです。
記事によると、文科省の幹部は、「職員自らが英語を活用することで、英語教育への視野が広がるはずだ」と期待しているそうです…。
このニュースを読んで、私は頭が痛くなりました。日本の教育行政をつかさどる中央官庁が、日本人だけなのにたどたどしい英語を使って、日本の英語教育の在り方について会議している姿は滑稽でしかないですね。
(´・ω・`)
いい大人は「英語ごっこ」なんぞしていないで、日本国民の将来にとって外国語教育がいかなる意味で必要なのか、国語教育とのバランスをどのように考えるべきなのかなどについて真剣に討議してもらいたいと思います。もちろん日本語で。
しかしアメリカ人は、日本の文科省で日本人同士が英語で会議しているのをみたらほくそ笑むでしょうね。「日本人も劣化したなあ、こんな国民には金輪際負けることはないなあ」と。
も し立場を入れ替えて、アメリカの役人たちがアメリカの教育省で自分たちだけなのにたどたどしい日本語で会議をしていたら、多くの日本人はそれを微笑ましさ と憐れみを感じながら見つめ、「アメリカも劣化したよなあ」と思い、アメリカという国を軽く扱うようになるのではないでしょうか。
(´・ω・`)
文科省は、最近、ますます「教育のグローバル化」なるものに熱心です。
例 えば、上記の日経電子版の記事の後半でも触れられているのですが(登録が必要なのでみられない方も多いかもしれません、すみません)、文科省が昨年12月 に公表した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」によると、小学5年生から英語を正式教科化し、週三時間それに充てるようになるそうです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1343704.htm
また「モジュール授業」なるものも導入し、英語の授業のない日も、15分程度、英語の「聞き取り」や「発音」などの反復練習に充てる時間を取りたいと考えているようです。
日本語もまだ不確かな小学生にそんなことする必要あるんでしょうかね。英語圏で将来働きたいという希望を持っている子が大多数だというわけでもないでしょうし。
ちょっと意地悪な言い方をするとすれば、文科省は、日本が将来、アメリカの正式な属国になると予想しているのかもしれません…。
中 学に目を移すと、中学校の英語の授業は、原則英語で行うことにするようです。高校では昨年度の一年生から始まっていますが、「英語の授業は全部英語でやる べきだ!」といういわゆる「オール・イングリッシュ」という取り組みです。数年後には、それを中学校レベルでも導入しようというのです。
基本的に、英語の時間は日本語禁止で、文法の説明も英語で行い、訳読はしないというのでしょう。ただ、高校の英語の先生に尋ねたところ、現場はやはりそういうわけにはいかず、文法や単語の説明は日本語でするし、和訳も当然しているとのことでした。
ですが、文科省が「英語の時間は英語でやるのが基本」だと強く打ち出していますので、数年後には、英語の時間に日本語を用いる中学や高校の先生がたは、うしろめたさを感じるようになるのではないでしょうか。
不思議なことに、英語教育の専門家には、中学校や高校における「オール・イングリッシュ」の英語の授業を推奨する人は少ないようです。また、英語教育学の研究者のなかでは、「英語は英語のみで教えるべきだ」という説は、学術的に正しくないという意見がかなり強いようです。
た とえば、イギリスの応用言語学の大家ガイ・クック氏は、「オール・イングリッシュ」のように児童・生徒が日常使っている言語を教室から排除する教授法のこ とを「直接教授法」と呼び、これを批判しています(クック/斉藤兆史、北和丈訳『英語教育と「訳」の効用』研究社、2012年)。
クック氏は、「英語は英語で教えられなければならない」とか「ネイティヴ・スピーカーこそが最良の英語教師である」というような一連の「直接教授法」の考え方には、学術的根拠はあまりなく、それが広まったのは、むしろ「商業上の理由」からではないかと述べています。
つ まり、つまり「英語は英語で」とか「ネイティブの先生こそ最良の教師だ」という見方が広まれば、イギリスやアメリカなどの英語国の出版社や学校は、相手国 の言語や文化に関係なく、自国の教師や教材を一律に輸出できるので都合がいい。そういうビジネス上の都合から、直接教授法が正しいものとして世界に広まっ ていっただけなのではないか、と推測しています。
同じように、言語教育の専門家ロバート・フィリプソン氏も、世界の 英語教育業界において、誤っているのに広く受け入れられてしまっている5つの誤謬を列挙しています(フィリプソン/平田雅博ほか訳『言語帝国主義──英語 支配と英語教育』三元社、2013年(原初は1992年に出版))。
興味深いので5つとも書いておきます。
(1)単一言語使用の誤謬、つまり「英語は英語で教えるのが最もよい」という信条
(2)母語話者の誤謬、つまり「理想的な英語教師は母語話者である」という信条
(3)早期教育の誤謬、つまり「英語学習の開始は早いにこしたことはない」という信条
(4)最大受容の誤謬、つまり「英語に接する時間は長いにこしたことはない」という信条
(5)減算的言語観の誤謬、つまり「英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる」という信条
フィリプソン氏は、多くの論拠を挙げながら、これら5つの信条がいずれも誤りで、学術的根拠はあまりないのではないかと論じています。
たとえば、(1)に関しては、児童・生徒がすでに身に付けている言語の土台があり、それに十分関連付けられて初めて外国語の学習が進むのであり、そうした関係を軽視してはならないという点に言及しています。
(2) については、たとえば、学習者と言語や文化を共有し、また自らが第二言語として英語を学習してきた経験を持つ非母語話者のほうが、学習者の言語的および文 化的ニーズをよく理解しているため、単なる母語話者よりも教師としてふさわしいとする研究を示しています。そして「理想的な英語教師を母語話者とすぐに結 びつける発想自体が拙速である。この信条は科学的妥当性をもたない」と論じるのです。
フィリプソン氏も、「単一言語 使用の誤謬」や「母語話者の誤謬」が学術的裏付けが乏しいにもかかわらず広まった原因について、これらが広まることによるアメリカやイギリスなど英語国や そこの各種業者の政治経済上のうま味について指摘しています。アメリカ人やイギリス人の英語教師は、相手国の言語や文化を知らなくても、英語教育関連の世 界中の職場で職を得られるようになるわけですし、アメリカやイギリスの出版業者は相手国の言語・文化にかかわらず世界中に教材を売ることができるようにな りますので。
フィリプソン氏は、「単一言語使用の誤謬」がもたらす学習者への心理的な悪影響についても強調します。学習者の言語を教室から締め出すことは、学習者の言語や文化が劣ったものだと意識させることにつながらないかと懸念するのです。
フィリプソン氏によれば、ドイツの言語や文化の広報機関であるゲーテ・インスティテュート(ドイツ文化センター)の付属のドイツ語学校も、かつては単一言語使用の方法論に従っていたそうです。
し かし、ゲーテ・インスティテュートは80年代にこの方針を改めました。「学習者の母語を教室から締め出すような教育は、彼らに疎外感をもたらし、彼らから 文化的アイデンティティを奪い取り、異文化間コミュニケーションの能力の向上ではなく文化変容を引き起こす」と指摘されたからだそうです。
フィ リプソン氏は、この点について、「確固たる文化的アイデンティティを身に付けていると考えられる成人の学習者に対する外国語としてのドイツ語教育にすら、 こうした異論があるというのであれば、感受性の強い子供たちに一言語のみを用いて行う教育が壊滅的な結果をもたらしうることは想像に難くない」と論じてい ます。
私も、中学校や高校での「オール・イングリッシュ」の方針は、「百害あって一利なし」に近いんじゃないかと思います。
中学、高校の英語の時間は、せいぜい週5時間程度でしょう。一年35週、一時間の授業が50分だとすると、英語の時間は、一年365日中、丸6日程度しかありません。学校教育の外国語学習など、時間的にみれば、たかが知れています。
丸6日程度のうち、英語の音に触れたり、英会話の練習をしたりする時間が授業内で少し増えたところで、たいして英会話がうまくなったりするものでもないでしょう。
そ れよりも、「オール・イングリッシュだから日本語禁止!」とか、「小学校から英語を学ばせなければ!」とか、「スーパーグローバル人材だ!」とか、「会議 は英語でやるお!」とか、グローバル、グローバル、英語、英語と大人たちが叫んでいることの子どもに与える悪影響の方が心配になります。
このような状況は、子どもたちに、「英語や英語文化のほうが、日本語や日本文化よりも圧倒的にえらい」という見方をはからずも刷り込こんでいるのではないでしょうか。
以前のメルマガ記事でも書きましたが、日本の文教政策の短期的な目標の一つとして「英語力向上」というのがあってもいいとは思いますが、それが日本の教育政策の柱となってしまうのはまずいでしょう。
いくら日本人の英語力が向上したといっても、アメリカ人やイギリス人の英語力には適うわけありませんし、おそらく日常生活で英語を必要とするシンガポール人やインド人、フィリピン人にも勝てないでしょうから。
で すので、日本の政策目標としては、「たとえ英語ができなくても、豊かになれ、多様な機会が得られる国づくりを維持し徹底する」のほうがずっと望ましいで しょう。(また「英語による文化支配が事実上行われている世界の現状を長期的には是正し、公正化をはかる」という国際戦略も必須でしょう)。
文科省は、東京オリンピックが開かれる2020年をめどに英語力向上!と叫んでいますが、片言で英会話できる日本人が少々増えたところで別に外国の人はよろこばんでしょう。
それよりも、「日本人は英語がかなり下手だけど、街は豊かさにあふれ、清潔で、安全だ! そして人々は親切だ!『英語化=近代化』などではなかった」という当たり前の事実を外国の人々に認識して帰ってもらった方が今後の世界のためにずっといいように思います。
いつにもまして長々と失礼しますた…
<(_ _)>
2015年1月10日土曜日
楽天は昔のヤオハンに似ている
こんばんは
英語の話. 英語の社内公用語化をした楽天社長 三木谷さんの話.
あれですね.私,三木谷サンみたいな人,どこかで見たな,と思っていたんです.
あのように,先見の明があって,賢くて,人間的な馬力もあって,もちろん事業も成功されて・・・
しかも,その時代の流れの先を行く様な部門で成功されて....
だけど,時として何か違和感のあることを言う,やる. 社内英語公用語化なんてその最たる物です.
でも,それがまた,一種の時代の先取り感を醸し出しているような人.
馬鹿みたいだけど,なかなか反対意見を言いにくい.
何よりも,皆がそれに乗っかろうとしている.
だれか?・・・だれか思い浮かびますでしょうか?
?
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ヤオハンの社長さんです.
1990年代.ヤオハンは国際展開するスーパーマーケットチェーン.外国で日本食や日本のものを扱うスーパーマーケット.
その社長が,これからは中国だ,と仰る.
この当時,中国はこれから伸びると言われていたし,実際にそうなった.
でも,インチキされたら嫌だから,日本企業のみならず,世界の企業も進出を躊躇していた.
しかし,このヤオハンの社長.本社を香港に移して,自宅も香港に移したのである.
つまり,会社の大事な部分を皆,中国に移した訳だ.
それでどうなる.大丈夫か?
ビジネス 人のやらないことを大胆にやると儲けもデカい.後から行っても,儲けは薄くなるのは,世の常.対中ビジネス どうするか,と決断することが,当時の企業の焦眉の急であった.
そんな折,大胆にも中国に持ち金全部を出して切り込んだヤオハンの社長.
当然,彼はこの時代の寵児と成った.中国ビジネスと言うと,彼が第一人者とであって,必ずその記事に彼のコメントが出ていた.調度,今,英会話,英語公用語化というと,必ず三木谷氏が出てくる様に.
だけど,大丈夫か そんなことをして大丈夫か....
とやっていて,5−6年後にヤオハンは突然倒産した.理由は中国ビジネスの失敗.
今思えば,ヤオハンの社長も中国から足を洗いたかったと思うよ.でも,あそこまで言ってしまったら,且つ,あそこまで,マスコミに取り上げられてしまったら,もう後には引けない.
結局,行く所まで行ったというわけだ.
このようなことはある日,突然明らかになる.白日の下に晒される.
楽天がどうなるか. 歴史ワッチャーとしては,興味のある所だ.
楽天の明日はどっちだ・・・
英語の話. 英語の社内公用語化をした楽天社長 三木谷さんの話.
あれですね.私,三木谷サンみたいな人,どこかで見たな,と思っていたんです.
あのように,先見の明があって,賢くて,人間的な馬力もあって,もちろん事業も成功されて・・・
しかも,その時代の流れの先を行く様な部門で成功されて....
だけど,時として何か違和感のあることを言う,やる. 社内英語公用語化なんてその最たる物です.
でも,それがまた,一種の時代の先取り感を醸し出しているような人.
馬鹿みたいだけど,なかなか反対意見を言いにくい.
何よりも,皆がそれに乗っかろうとしている.
だれか?・・・だれか思い浮かびますでしょうか?
?
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ヤオハンの社長さんです.
1990年代.ヤオハンは国際展開するスーパーマーケットチェーン.外国で日本食や日本のものを扱うスーパーマーケット.
その社長が,これからは中国だ,と仰る.
この当時,中国はこれから伸びると言われていたし,実際にそうなった.
でも,インチキされたら嫌だから,日本企業のみならず,世界の企業も進出を躊躇していた.
しかし,このヤオハンの社長.本社を香港に移して,自宅も香港に移したのである.
つまり,会社の大事な部分を皆,中国に移した訳だ.
それでどうなる.大丈夫か?
ビジネス 人のやらないことを大胆にやると儲けもデカい.後から行っても,儲けは薄くなるのは,世の常.対中ビジネス どうするか,と決断することが,当時の企業の焦眉の急であった.
そんな折,大胆にも中国に持ち金全部を出して切り込んだヤオハンの社長.
当然,彼はこの時代の寵児と成った.中国ビジネスと言うと,彼が第一人者とであって,必ずその記事に彼のコメントが出ていた.調度,今,英会話,英語公用語化というと,必ず三木谷氏が出てくる様に.
だけど,大丈夫か そんなことをして大丈夫か....
とやっていて,5−6年後にヤオハンは突然倒産した.理由は中国ビジネスの失敗.
今思えば,ヤオハンの社長も中国から足を洗いたかったと思うよ.でも,あそこまで言ってしまったら,且つ,あそこまで,マスコミに取り上げられてしまったら,もう後には引けない.
結局,行く所まで行ったというわけだ.
このようなことはある日,突然明らかになる.白日の下に晒される.
楽天がどうなるか. 歴史ワッチャーとしては,興味のある所だ.
楽天の明日はどっちだ・・・
2015年1月8日木曜日
楽天の英語社内公用語化が失敗に終わるのは当然である
英語ができる というのをどう考えるか.どのようなレベルで考えるか.
おそらく皆さんは,と言うか,一億国民の漠然たる英語に対する望みは,日本語が使える様に英語を使つことができること.
文章で書くとこうなるだろう.
もちろん,そうではないと,真剣勝負の企業の現場では使えない.
楽天のやっていることは,最初からママごとだったんです.
企業 楽天のような会社だと決済しなければならないことが,毎日山の様に入って来る.多くが莫大な金の動くこと.
もちろん,そうではないと,真剣勝負の企業の現場では使えない.
楽天のやっていることは,最初からママごとだったんです.
企業 楽天のような会社だと決済しなければならないことが,毎日山の様に入って来る.多くが莫大な金の動くこと.
特にあのようなIT産業.一寸先は闇だし,未来に大きく影響する様な重要な決済,重要なアイデアに対する議論は特に大事であろう.
もう何語でも良いから,各人で話し合い,的確に判断しなければならない.日本人同士が会えば,そのことで話し合う.もちろん日本語で.そこからまた良いアイデアが産まれる.しかし,楽天ではそれも憚れるようだ.
もう何語でも良いから,各人で話し合い,的確に判断しなければならない.日本人同士が会えば,そのことで話し合う.もちろん日本語で.そこからまた良いアイデアが産まれる.しかし,楽天ではそれも憚れるようだ.
日本人同士で英語でノタクタやっている.馬鹿みたい.
大事なことは便所からお互いにメールでコソコソ連絡し合っているみたい.
だから最近,業績が伸びない.画期的なアイデアも出ず,アマゾンには大きく水を開けられつつある.
もう本当は,三木谷なんか英語公用語化なんてやめたいと思っている,と私は思うぞ.
でもあの人もここまで言ってしまったら,辞められない.すると強がりばかり言う事に成る.
だから最近,業績が伸びない.画期的なアイデアも出ず,アマゾンには大きく水を開けられつつある.
もう本当は,三木谷なんか英語公用語化なんてやめたいと思っている,と私は思うぞ.
でもあの人もここまで言ってしまったら,辞められない.すると強がりばかり言う事に成る.
曰く「楽天の社員は通訳無しでほぼ英語で外人と話ができるようになった」等々.
楽天などをはじめとして企業戦線の現場で使える英語というもの.真剣勝負の英語.
もはやTOEIC何点という発想自体が終わっている.
とにかく英語が必要な時には英語で話す.無理なら通訳を入れる.あとは,人間力で頑張るしかない.それが企業戦士のあり方だし,彼らの戦争のやり方だろう.
詰まる所,普通の戦争と同じだよ.
「敵のミサイル接近 あと15秒で命中します!」と言う前に「英語でなんて言うのかな」じゃあ,ダメだろう.
それと同じコトが楽天で起きていると思って間違いないだろう.
楽天などをはじめとして企業戦線の現場で使える英語というもの.真剣勝負の英語.
もはやTOEIC何点という発想自体が終わっている.
とにかく英語が必要な時には英語で話す.無理なら通訳を入れる.あとは,人間力で頑張るしかない.それが企業戦士のあり方だし,彼らの戦争のやり方だろう.
詰まる所,普通の戦争と同じだよ.
「敵のミサイル接近 あと15秒で命中します!」と言う前に「英語でなんて言うのかな」じゃあ,ダメだろう.
それと同じコトが楽天で起きていると思って間違いないだろう.
英語公用化 屑の様な発想であったな.
2015年1月7日水曜日
小学生に英会話なんか,お辞めなさい
今日は,職場で小学生のお子さんを持つ人と子供教育談義.
議題は英会話談義.
塾は今,子供の英会話で熱いね.
今,子供らの教育環境が英会話で一杯一杯になっているようだ.塾では,これからは英語だ,と叱咤されている.
これからは,と言っているけど,今までも英語は受験科目で大事な科目の筆頭だ.
厳密に言うと,塾の先生は,「これからは小学生の英会話だ」と言いたいのだろうな.
まず,一般論から.
塾の先生は3つのことを考えてやっている.
1)生徒の力を伸ばすこと (おお これは良いことだ)
2)塾の経営 (これも大人の事情.でも,そのためには,良い授業をして子供達の心を掴み,子供らの学力を伸ばしてやるしかない.一人一人の子供の正確を把握し,褒める所は褒めて,叱咤する所は叱咤してもらう 良いコトだ.,加齢臭もするが)
3) 自分を守ること これはどう言う事かと言うと・・例えば,高校1年生くらいで塾に行くとしよう.
あまり出来ない子.「どこの大学に行きたいのだ?」くらいは聞かれるだろう.
まあ,北海道では,親も言うし,小さな声で「北大」とでも言ったとしよう.すると,北大に行くのならこのくらいの問題をやらなくては,は,どっさりと難 しい問題のプリントが渡される.やれるはずない.もっと,二次関数のグラフの書き方とか,中学の数学までさかのぼって,基本的なことをやって欲しいのに, そうはしないみたい.
それで,おれたちはこんなにやった,と言うのであろうさ.言い訳作りのためのドッサリプリント、という訳だ。
先のお子さんを持ちお母さんの所なら,「英会話大事だって,言ったべ」ということになる.まあ、今、この情勢で、塾の先生自身が、「英会話なんてお辞めなさい」とは言いにくい。政府からは学校では小学3年から英語をやると言う声も聞かれる。
塾ではむしろ、英会話を煽り、自分の塾でも小学生の英語の授業も充実を図り,塾の経営の充実も図っているはずだ.
だからこそ、私は強く確信を持って言うのだ。
くだらない.小学生の英会話なんか,お辞めなさい.
でも学校で,馬鹿な授業をやるのであれば,仕方がない.それを生徒としては受けるしかない.
でも,くだらないぞ.英語に慣れる授業を目指すそうだ.外人教師がやろうが,日本人教師がやろうが,同じ. 何も身に付かないだろう.
小学生にとって退屈な授業となるだろう。
小学生なら,まず,日本語だろう.
子供の学力を付けたいと思ったら,まず日本語だ.具体的には本を読む習慣をつける.本を読むことは楽しいな,と子供が思ってくれたらしめたもの.これで勝ったも同然.その地域の伝統校,というか,一番校みたい所には行ける.
あと,もちろんだけど,数学で落ちこぼれない様にする.
それで余力があれば,英会話? それよりも楽器をやったり運動をして体力を付けた方がずっと良い.英会話なんかその後の後.二の次,三の次.
きちんとした長期戦略に立って,子育てすべきだろうね.
一時の流行に乗っては,子供を金をかけてダメにするだけだろう.
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