2017年3月20日月曜日

カルテの開示 時代の雰囲気を打ち破れ

おはようございます。

 今、東京に来ています。
 前にも書いたけど個展を見るためです。 
 そして、今、秋葉原のスタバにいます。
 http://kanjifirst.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html



 さて、今日は時代の雰囲気と電子カルテのお話です。

その時代時代に、時代の雰囲気、というものが確かにあります。
 
 例えば、現代なら、グローバルとか言われると、みんな「ハハ-」となる。
 なかなか反論を唱え難い。
 本当はグローバリズムなんて、国境を股にかけてビジネスをする大きな企業にりするだけ。
 一般国民は損をするシステムに過ぎないのだが、ハハ- となる。
 あの先の大戦の時もそうである。
 まあ、戦争の時はいつでもそうであるが、国内は戦争一色となる。
 戦争反対、とか、命が惜しい、とかは、とても言いづらい雰囲気が覆う。
 そんなことを言ったら、罰に問われることだって稀ではない。
 これも一つの「時代の雰囲気」である。

 そのような時代の雰囲気というものが、大なり小なり確かにある。
 
 今、医療では「カルテ開示」という一つの雰囲気がある。
 カルテ開示に反対だ、というと、何と頑迷な、自分のカルテに自信がないのか、という雰囲気である。

 その雰囲気を打ち破るためにこの記事を認めます(したためます)。

 まずは、カルテ開示とは良いことなのか? ということ。

 カルテ開示は、私、個人的には嫌いです。全く馬鹿げたことと思っています。
 この時代では誠に言いづらいことですが、敢えて言います。

 

 このような時代の雰囲気の中で、カルテ開示は、一種の義務のように考える人も多いようです。
 (・・・実際は義務ではありません。)
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H15/H15HO057.html また、稿を改めて書きます
 
 さて、カルテを誰に開示するのかというと、患者様に対してであります。

 それをどう使うのかというと、患者様が使うのではなく、裁判やら、何やらで、保険屋さんや裁判所で使うみたい。

 あと、地域連携とかで、電子カルテの場合、それがクラウドに保存されていて、提携している別の病院の医師が見る、みたいなことも行われつつあるようです。
 (政府の「過激派」の政治家や財界人は、日本全国のカルテが公開されて、このように医師や医療関係者、介護関係者で共有できれば良いとマジに考えている)

 政府がマジであり、あの手この手でやってくるので、今のIT、電子カルテで一気に進んでいる。
 (400床以上の病院の70%が電子カルテとなった。
 このような病院は大学病院、研修病院なども多いですから、このような病院で育ったわかり医師や看護婦さんは電子カルテしか知らない人も多くなっている。
 こんな記事を書いていること自体が古いのだろうか。いや、本意を正したい)

 カルテも、日本語で綺麗に、というのが良くなったみたいです。
 できれば電子カルテでワープロで、が最高みたいです。
 
 紙カルテに英語やドイツ語を混ぜてグシャグシャ書くことは何やら現代では悪いことみたいです。

 世の中はそのような雰囲気になっている。
 
 しかし、そうなのですか? と言いたいのです。

 カルテには様々なことが書かれています。というか、書きます。

 カルテはその人の病状を記録するものであるが、その人自身を知るために必要なことも書く。
病気を治すためには、その人を知らねばならぬ。

 例えば、家族関係、交友関係、・・・スポーツ歴 趣味 みたいなこと。
 
 時に、刺青があるとか、ないとか。

 家族の慶弔、病気 など。
 
 あと、性的趣向 なども時には・・・

 全体的に幸福なことはあまり病気の原因にはなりません。
 不幸なことが病気に悪い影響を及ぼすものです。
 故に、あまり良くないことを多くカルテに記載することになる。
 (もちろん、おめでたいことも書きます)

 よく交通事故関係からカルテを開示してくれ、と言われる。

 患者の同意があれがどうしようもない。もちろん同意書がある。

 しかし、このとき患者は知っているのであろうか。カルテの内容をである。

 本来なら患者様が、カルテの内容を吟味し、事故による体の故障以外のところに患者本人が墨を入れなければならない。

 また、カルテ開示を求める人や同意書を取りに行った人はそのようなことを逐一患者に説明しなくてはならないと思う。

 地域包括ケアでも、その地域でその患者(利用者)に関わる医療機関、介護施設でカルテを共有できたら、という試みもある。

 しかし、こんなところで公開でもしたら、膨大な人がカルテを見ることになる。良いのか?
 特に介護施設ではその近隣の多くの人が働いている。

 自分のこと、身内のころが赤裸々に暴露されることもある。

 言ってか、言わずかは分からないが、「先生と俺の関係だから話すんだよ」ということもよくある。
 というか、患者さんが外来でお話しすることというのは、全部がそうなのではないだろうか。

 まあ、医師ならば、守秘義務というものを叩き込まれている。

 しかし、介護職員はどうなのか。守秘義務ということをきちんと理解されているのだろうか。
 そもそもそのような法律があるのだろうか。

 それにしても介護施設の近隣には、また近隣の住人が介護職員として働いている。

 電子カルテなんて公開したら、この人たちも見ることになる。
 カルテ開示とはそのようなことである。それで本当に良いのか。

 裁判ともなれば、それは一般世間に公開されるのである。それで本当に良いのか。

 したがって、カルテを公開する場合、我々は常に患者の同意を取る必要がある。

 しかし、その時には「ここにサインして」ではなく、本当に治験の同意を取るが如く、いや、それ以上に説明をしなければならないと思う。

 おそらくは、不同意となるケースも多々あるであろう。

 交通事故にせよ、地域連携にせよ、病状について我々がサマリーを書けば良いことなのだ。
 それでことは足りるし、読む方にしても、効率が良いのである。
 
 このように考えると、カルテ開示はなにも正義ではないし、カルテ開示に疑問を持つ医師も極めて正常懸念をお持ちなのだ、と改めて思う。

 決して頑迷な考え方ではない。


 時代を躊躇なく打ち破れ!

電子カルテを問う 目次



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